妙楽寺(みょうらくじ)
- 神社仏閣・史跡
郷之口の妙楽寺境内には、江戸時代を代表する俳人のひとりで、画人としてもその才能を高く評価されている与謝蕪村の句を記した碑が建っています。句碑は大正15年、当時の好川海堂住職により、宇治田原に遺された蕪村の真跡から
「見のこしの茸のかほりや宇治拾遺」
と刻まれています。
蕪村は、享保元年(1716年)摂津毛馬村の生まれで、長じて江戸に出て宗阿の夜半亭に学び、宝暦元年(1751年)36歳で入洛、明和7年(1770年)55歳で夜半亭二世を嗣ぐと同時に、「芭蕉に帰れ」と俳道復古を唱えました。彼の句境は、芭蕉のさび、しおりを超えて、耽美的な詩の世界に遊ぶことにあります。
天明3年(1783年)9月13日、68歳の蕪村は、この地の門人奥田毛條に招かれ、松茸狩りに興じました。この時の模様は、蕪村の俳文中でも出色のものとして有名な「宇治行」に、ありありと描かれています。そこには、蕪村が宇治田原で詠んだ句として
「鮎落ちていよいよ高き尾上哉」
「絹を裂く琵琶の流れや秋の声」
等が収められており、「鮎落ちて~」は松茸狩りに興じた宇治山の向かい側山腹の高尾集落に鮎汲みを生業とする人たちが暮らしているのを知って驚いたものです。
また蕪村を招いた門人奥田毛條は、「田原の大名」と称された奥田家の九代目当主治兵衛重義のことで、その作と思われる句は、蕪村の句集「続明烏」にも収められています。
「雨にぬれ風に吹かるるかかし哉」
宇治田原の松茸狩から京に戻った蕪村は、その3ヶ月後病に伏し、同年12月25日、68歳で生涯を閉じました。
句碑に刻まれた句は「宇治行」執筆中に推敲を重ねている段階のものと考えられ、完成文では「君見よや拾遺の茸の露五本」となっています。
見学のポイント
町登録文化財(蕪村の句碑)
アクセス
【住所】
宇治田原町大字郷之口小字本町118
【交通アクセス】
公共交通
JR奈良線「宇治」駅、京阪「宇治」駅、近鉄「新田辺」駅から京都京阪バス「維中前(いちゅうまえ)行き」「緑苑坂(りょくえんざか)行き」「工業団地行き」のいずれかに乗車、「下町(しもまち)」バス停下車 徒歩約4分
【問い合わせ先】
0774-88-4118